吾唯足知

tukubai龍安寺の蹲踞(つくばい=手を洗う水を溜めとく石)に「吾唯足知」って字がデザインされている。「われ、だた、足るを知る」って読むんだが、なかなか奥が深い言葉だよな。

「不平ばっか言ってねーで、今生きていられることに満足しなさい。」って意味かもしんねーが、「自分の知らないことを知ろうとすべきだ。周りを、世界を知らないからこそ、心に飢えを感じて、むやみに追い求めてしまうのだ。」って言ってるよ~な気がする。

かといって、回りの不幸を知って、自分と比べてみて、自分の現状に満足しろって言うのとも、なんか違う気がする。

「人は、多くの人と、多くの物の中で生かされていることを知って、感謝の気持ちを持てれば、足りないと感じることがあるだろうか」って言ってるような気がするんだよな。

制御と本質

ziko前に、失敗のこと書いたんだけどよ、失敗しないための、事故を起こさないための対策は2つの種類に分けて考えることができる。例えば、交差点での交通事故を考えてみようっか。

まず、その交差点を物理的に破壊して通れねーよ~にすれば、事故は起きねーだろぉ~が、道路として役立たずになるから、ダメだよな。

普通に考えられるのは、交差点に信号機を設置する方法だよな。片方が通れる時は、もう片方を赤にして止まらせるって方法。これ、交通の流れをルールを作って制御してるって考えられるので、「制御安全」って呼ばれてる。ただ、信号無視なんかがあると役立たずになっちまう。

もう一つは、片方の道路を陸橋にして立体交差にすればいいよな。これだと、それぞれが交わることがないから側面衝突は起こりえないんで、「本質安全」という。ただ、交差点を曲がれなくなっちまうから、曲がれるようにするとなるとすんげー複雑な構造が必要になるが。

安全性という点から見れば、本質安全が優れてるんだろうが、制御安全に比べて、コストがかかる。結局は、事故の危険性・重大性とコストの見合いで、どう対策を取るかって判断になるんだよな。

これ、交差点事故だけじゃねーぜ。仕事上でいろんな失敗をしないように、オレたち自身もさまざまな対策考えるんだが、たまには、何がいいのかじっくり考えてみることも必要だぜ。

 

距離

proc「なんだ、こいつ。こんなにオレに近づきやがって!」って思うことってねーっか?

すんげー親しい奴だったら、すぐ横に立っても何の違和感もねーが、ただの知り合いが妙に近づいてきたら、ちょっと嫌だろ?

個人差はあるだろうが、相手との関係の濃淡によって、許せる近さってのもあるらしいぜ。エドワード・ホールって人類学者がプロクセミックスって考え方出してるんだが、それに拠ると、自分を中心に4つの距離があるらしい。

自分から0~45センチ=密接距離=恋人とか親密な相手にだけ許せる距離

自分から45~120センチ=個別距離=普通の関係の奴の接近が許せる距離

自分から120~360センチ=社会距離=一つの集団として、まとまって行動できる距離

自分から360センチ~=公衆距離=理念上での集団的まとまりが、せいぜいの距離

あまり親しくねー奴には、不用意に近づき過ぎねーよ~にしとけよ!

スタイル

copo前に、5つの心の要素ってのやったよなぁ。あれって交流分析(TA)って言うんだが、そいつの出やすい心の傾向とか、対話の状態とかを分析する方法だったよな。

それとは別に、ど~やったら人間関係が上手くいくかってのを考えようとするのがある。プロファイリングって大勢の人間のデータを集めて、脳科学の知見を使ったもので、そいつの思考スタイルと行動スタイルを分類しようというやり方。エマジェネティックスという方法だ。思考スタイルは4種類、行動スタイルは3種類あるらしいぜ!

今の仕事で人間関係に悩んでる奴は、参考にしてみるといいかもしんねーぜ!

失敗

sippai神様じゃねーから、人って、失敗もするし間違いもするもんだよなぁ。もち、そんなことはねーに越したこたーねーが、そうもいかない。まっ、すぐ修復できる小さな失敗だったらいいが、時には取返しがつかないことも起こる。でも、それは、本当に仕方がなかったことなんだろうか。

アメリカの損保会社に勤めてた人で、ハインリッヒという人がいろんなケースを調べてみたら、こんなことが言えるんだそうだ。

「1つの重大な事故の陰には、29の小さな事故があった。そして、事故にはなんなかったけど危なかったケースが300はあった。」ってな。

ハインリッヒの法則として知られてるんだが、もち、危なかったケースのうちに対策が出来ていれば、そうじゃなくても、小さな事故のうちに対策が取られていれば、重大な事故は防げたかもしれねーよな。

「あっ、危なかった!ラッキー!」って思える間に、何か出来てれば、不幸は防げる。人って、そういうところ鈍感だから、お互い気付けてかねーとな。

クイックターン

ftrnやっぱ、泳いでてカッコいいと思うのは、クイックターン(フリップターン)をバッチシ決めた時だよな。

クイックターンは、壁に届く前に水中で前転して、足でタッチする方法なんだが、コンパクトに回転することが一番のポイント。頭を沈めたら、手で水を下に押して回転力を足してやると上手くいくぜ!

言葉

zasikiライトノベルズ読んでたんだが、こんな感じの文章があった。

人から言われれば疑問を抱く。抱いた疑問は種となって心に残る。心に残った疑問は釘となって、これまでどおりに行動できなくなる。

言葉の重みを良く表現してるなぁ~って思ったぜ。昔風に言うと言葉の持つ「呪力」って意味にもなるんだろうが、オレたちって、いろんものに縛られて生きてるよ~だな。

対話って

friends今まで、対話のパターンって4つあるって話したんだけど、相補交流が良いとか、鋭角裏面交流が望ましいとか、そういうことを言いたいんじゃねーんだ。

相手の意のとおりの対話したって、新しい中身がなくて、刺激がなくて飽きっぽくなっちまうし、四六時中、交差交流ばっかだけだと、戦闘的になっちまうかんなぁ~。要は、その時その時の相手の気持ち、言いたいことを察して、自分の考え・気持ちを持って対話を返してやるってのが大事ってこと。

人は、その存在を認められない時、一番傷つく。無視っていうのは最低だと思う。で、出来れば、相手の気持ちを慮る気持ちを持って交流できれば、いいと思う。

そのためにも、自分の出やすい性格や、いろんな対話のパターンを覚えておけば、少し役立つかもしれないと思ってな。

あお?

kourogi青信号って緑だよなぁ?青唐辛子ってんも緑だよなぁ?なんで、青って言うんだって思ったことねーっかぁ~?

いろんな解釈があるみてぇ~だが、もともと「あお」には「未熟の」、「成長中の」って意味があって、「あおい」っていうのは成長中の色を広く指すことがあるらしい。だから、緑も、熟してない色ってこって「あお」の中に入ることがあるらしいぜ。逆に成熟した色を指すときは「あか」らしいがな。

それから百人一首の中に、こんな歌があるよなぁ。

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む

この「きりぎりす」って今のコオロギのことらしいぜ。時代によって、使い方によって、言葉の意味って、いろいろ変わるみてぇ~だな。気付けねーとな。

二重裏面交流

nirimen対話の4つ目のパターン、最後のパターンは、お互いに本音を隠すパターンなのだ。腹の探り合いなのか、黙示の拒否なのか・・・お互い本音を言わないから前に進まないってパターンだぜ。

鋭角裏面交流の時のように、宿題のドリル見せてもらいたい(青①)のを遠回しに、緑①「ドリル難しかったかい?」って聞くとするよな。

それに対して、緑②「うん。難しかったよ。10日もかかっちゃった。」って答えたとすると、表面上は緑の①に返しているから相補交流なんだが、自分の真意は別にあるから、相補交流にはならないんだよな。

相手の真意は、黒②のように、「宿題は自分でやんなきゃダメだぜ。」っていうことかもしんねーし、「見せてほしかったら、はっきり言えよな。」ってのかもしんねー、それは分からないが、自分も相手も考えていることを隠して表現するってのが、二重裏面交流だぜ。