無用の用

tyawan今日、後輩と話してて気が付いたんだが、無用の用って「役に立たないように見えるものでも、重要な役割を担ってる」って意味に使われることが多いみてぇ~だよな。

元は、老子や荘子の言葉なんだが、老子の場合は、茶碗なんかは飯を入れるための何もない空間があるから意味があるといったように、「無いということ自体に意味がある。」っていうように使っている。

荘子の場合は、クヌギの木は建材にも向かないし、何にも使えない木であるが故に、人間に切り倒されないで一生を終えることができるといったように、「使えないことに意義がある。」っていうように使っている。

どっちにしても、「役に立たないように見えるものでも、重要な役割を担ってる」って意味ではないと思うんだが。確かに、老荘思想全体としては、今よく言われてるような意味合いもあると思うんだが、この言葉自体は違うんじゃないかと思うんだよな。どうしてこうなったんだろ~ね?不思議だぜ。